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1月12日、母の人生最期の日その1 [2012年12月末、最後の2週間]

昼間でかける用事があったので、夕方4時前になって
病院に行くと、すでに母は個室に移されていた。先に来た
親戚が「家族の方はいらっしゃらないですか?」と先生
が探していたことを教えてくれた。自分が着くと、ちょうど
先生と父が話し始めるところだったので、自分も参加した。

結論から言うと、今日か明日が山です、とのこと。
説明として、急にさらに状態が悪くなり、内出血や紫斑
が見られるようになったこと。そして前日より尿が減り
(~100ml)、恐らく腎不全が起き、実際血中のカリウム
濃度が7Eq/Lを超えていた、とのことだった。

ちなみに7を超えるカリウム濃度が心停止を起こしかねない
危険な状況であることは素人でも知ってる。生理学やれば
これが心筋にとってどんなにまずいか分かるし、そうでなく
てもドラマとかで塩化カリウムの静脈注射で殺人、という
シーンはかなりの人が見たことあるはず。ちなみに以下注釈。

カリウム濃度の異常

初期の心電図変化はカリウムが5.5mEq/Lを上回ると生じ,QT間隔の短縮および高くて左右対称性の先鋭的なT波を特徴とする。カリウムが6.5mEq/Lを上回ると,結節性および心室性の不整脈,QRS幅の拡大,PR間隔の延長,P波の消失がみられる。最終的に,QRS波は変形して正弦波パターンとなり,心室細動または収縮不全が起こる。

実は恥ずかしい話、先生の話を途中まで聞いて頭が
真っ白になってしまった。わざわざ自分のためかこれら
の症状を何とか症候群とか説明してくれたけど頭に入らず、
さらに全てをわかっていないのに「わかりました」と答えた
自分がいたから。こんなこと今までなかった。

慌てて個室に入って母に会った。顔がまっ黄色で黄疸
がひどかった。時折普通の呼吸に戻るときもあったが、
ほとんどがいわゆる顎で呼吸していて、苦しそうだった。
意識が戻って会話できるかどうかも、かなり怪しかった。

長くなったのでその2に続く。
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1月11日、容態急変、悪化 [2012年12月末、最後の2週間]

今日病院に行くと今まで以上に顔が黄色くなって
いて、またほとんど話すことが出来なくなってしまった。
熱も出ていたようで、氷枕がしてあった。それでも昨日
同様、リップクリームと保湿クリームを塗ってあげると
「気持ちいい」と言ってくれた。

顔の色を見る限り、癌が細々とつながっていた門脈
を破壊したか、肝臓そのものを食い荒らして肝臓の
機能がほぼ停止してしまったのかもしれない。

袋にたまっている尿を確認すると、心なしか昨日より
少ない気がする。夕方回診で回ってきたスタッフに
尿の量を確認すると「少なくなってきています」と
言われた。ということは腎臓もついにやられてきたか
と思う。担当医と話をするも「肝性脳症がひどくなって
きている感じです」とのこと。触ってみると手足も冷たく
なってきている感じがした。

また自分らが不在のとき尿管を直接通されていたのが
嫌だったのか、無意識でパジャマや下着を脱ぎ、はず
してしまっていた。しかし自分で服を着る余力はない。
それで待合室から帰ってくると下半身裸の母を見て
びっくりし、慌てて看護婦さんに直してもらったこともあった。

帰り際、担当医とまた話しかけられり「そろそろ個室に
移った方がいいかと思います。指定のお見舞い時間
以外でも側にいてあげられますから」と部屋を移ること
を勧められた。

いよいよ終わりが近いことを告げられたも同然で、
帰り道父と話をしていても、どよーんとしていた。
本来なら今日一度アメリカに戻るはずだったが、当然
飛行機をキャンセルし、延長を滞在することにした。
(因みにこの緊急時に対し、デルタ航空は寛大な
判断と処置をしてくれたことを記しておく)
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1月10日、小康状態続く [2012年12月末、最後の2週間]

今日も母の調子は良かったようだ。週明けの悪い状態
を伝えたため、母の姉たちが慌ててお見舞いに来てくれた
が、状態が思ったほど悪くなく話が出来てよかったと帰って
いった。父と夕方ごろお見舞いに行ったが、ちょっと長く話し
をして疲れた様子だったが、意識はしっかりしていたし、
会話も問題がなかった。昨日と同様、リップクリームや
保湿クリームを塗ってあげ、多少ながらも脚のリンパ
マッサージをやってあげると喜んでくれた。

尿が出にくくなったのか、ついに管が通されたようだが
尿量はしっかり確保できている様子。腎臓が動いている
証拠だ。痛みもしっかりコントロールできているようで
自分が年末に帰国して以来、痛みを訴えたことはない。

この状態を保ってくれれば、と祈ったことを覚えているが
こんな希望を持つことは長く続かなかった。
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1月9日、容態改善、小康状態 [2012年12月末、最後の2週間]

昨日、おとといと完全に意識が戻らず、会話が出来
ない母を見てきた。今日はいったいどうなっているん
だろうと思いながら病院に行くと、あれっ、父と普通
に話をしていて、びっくり。今日は調子がいいようだ。

意識もしっかりしているどころか、会話も問題ない。
気のせいか血色もいい。自分で起き上がることは
出来ないが、ベッドの頭の方をあげてもらい、かなり
の時間話しをすることが出来た。

肌が乾燥しているようなので唇にリップクリームを塗ったり、
顔に保湿クリームを塗ったりしたら、「気持ちいい、有難う」
と言ってくれた。たわいない話も出来た。母が登りたい
話をしたり、ヨセミテ公園に行ったときの話しをしたり。
痛みを調整する薬(オキシコンチン)のコントロールがようやく
うまくいき、点滴で体力が回復してくれればもう少しもつの
ではないか、と期待を抱かせるのに十分なぐらいしっかり
していた。事実、夕方久しぶりに口から薬を飲むことが
出来ていた。

父も含めて久しぶりに母と会話を楽しめて、家路に着く
足取りも軽かった一日だった。
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1月8日、容態変わらず [2012年12月末、最後の2週間]

父と病院に着てみたが、容態は相変わらず悪い。
ほとんど眠っているし、声をかけたり肩をゆすったり
しても起きてこない。眠っていてもなんだかうなされ
ているようだ。

一応気分良く起きたときに話そう、ということでかなり
長い時間待合室にいては様子を見に病室を訪れた
が状況は変わらなかった。それとベッドのマットや
シーツが非常にやわらかいものに変更されていた。
看護婦さんと話すと「床ずれのしにくいものなんです」
ということだった。動けないから仕方がないのか。

「これじゃもう厳しいかなぁ」と父が話しかけてきたこと
をよく覚えている。ただ帰り際、夜の診察のために
看護婦さんが「○○さん」と呼びかけると「はい」と
言って目を覚まし、検温などちゃんと対応していた。
後で先生の検診のときも「有難うございました」と
言っていた。

ちょっとだけほっとした瞬間だった。
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