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1月7日、容態悪化 [2012年12月末、最後の2週間]

今日病院に行ってみると母の様子がおかしい。今まで
黄疸を確認できたのは目の白い部分だけだったが、今日
は顔全体に黄色みを帯びたのがよくわかった。

さらに意識がおかしく、会話をまったく出来ない。動いて
いるときも、どちらかというと男性なら暴れているという
表現があっていると思う。ベッドの上で何をしたいのか、
手すりにつかまっていては踏ん張って、休ませてあげよう
と横にしようとしたが抵抗された。目も自分で制御できず
ぐるぐる回っていて完全にイっている様子だった。

ベッドは今日、窓際のところから入り口に近い、両サイドが
開いていて両側から看護できる場所に移動された。また
今まで入院してきて初めて心電図も取り付けられた。
口から薬を飲めなくなったため、痛み止めも点滴によって
投与されるようになった。

帰り際、担当医が話しかけてきて、「状態が悪くなったよう
です。どちらかというと、今までは(血液検査の)数字より
はるかによく見えましたが、今日は状態が数字通りになった
感じです」と言われた。また年末に話をしたときあと2ヶ月
ぐらいもつかなぁ、と言われたのに、今日はこの状態
だともって数週間と伝えられた。ただ今日の状態は痛み止め
の薬(オキシコンチン)を経口から点滴に変えたため、投与量
を調整している最中であり、そのために意識混濁が起きてい
る可能性もある、と言われた。

意思の疎通も出来ず、母がもがいているのを何もしてあげら
れずに見ているのもつらいので、今日は早々に引き上げた。
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2月24日、七七日、納骨 [2013年1月以降、母を亡くしてから]

実は2月24日の週末、母の納骨(49日)のために2日だけ
日本に帰国した。こんな短い日本滞在は初めて。でも出席
出来てよかったと思う。慌しくしてアメリカに戻り、仕事に
復帰した。

お骨があり、その周りにお花が添えてあったときは
まだ母が家にいることを意識できたが、それもお墓
に収められ何もなくなると、またひとつ母がいなくなった
ことを認識する材料となる。納骨を終えてほっとはしたが、
あまり気分のいいものではない。

アメリカにいると普段なかなか母と話せなかったので、
いまだに日本に電話すると母が出てくれるのではと
思ってしまう。お化けでも何でも、出てくれるとむしろ
嬉しいのだが。
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1月6日 [2012年12月末、最後の2週間]

昨日四国から出てきてくれた友人とそのお母さんと
一緒に病院を訪れた。案の定、母は寝ていたが、
軽く肩をさすると起きて来た。来客があったことを
告げると最初は寝ぼけていたのか、それとも病気に
よるものなのか混乱していた様子だったが、少しずつ
話すうちに誰がお見舞いに来てくれたか認識したよう
だった。するとどうにか力を振り絞って自力で起きあが
った上に正座をし「遠いところから有難うございました」
とお礼を言って、頭を下げていた。

それでも数日前よりはかなり消耗していたようだった
ので、少し話したところ(ほんの10分程度)でまた休んで
もらうべく退室した。だんだんと話せる時間が少なくなって
いることを実感した。自力でトイレも行けなくなったらしい。
実際、母がひじを使って自分で起き上がったのも
この日が最後だったと思う。

相変わらず栄養は点滴のみ。少しは飲めるかなと思って
買っておいたお水やほうじ茶はまったく減っていなかった。

P.S. この後友人たちと皇居や東京駅付近を散歩した。実は
生前母が元気なときに、彼らが上京した際同様に観光を
かねて歩いたという。
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1月5日 [2012年12月末、最後の2週間]

母が家にいなくなり、この日からまた面会時間に病院に
行って、母と会う生活に戻った。この日は体調がすぐれ
ず、あまり話を出来ずに帰った記憶がある。悪いけど
休みたいと言われたような。実際記録を見ると、夕方早く
に帰宅している。お正月家にいたのが疲れたのかも。
事実トイレに行きは自分で行けたが、帰りは疲れて戻れず
看護婦さんに車椅子でつれてきてもらったそうだ。こんな
ことは初めてのこと。

ただ会話は成立していて、口からまだ薬を飲んでいた。
ご飯は出されても食べられず、栄養は点滴のみ。

夜、四国からわざわざ母のお見舞いに来てくれた友人と
そのお母さんと会った。予備校時代の友人で会うのは
12年ぶりぐらい?お互い歳をとったことを実感するも、
昔話に花を咲かせた。
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1月4日、病院に戻った日 [2012年12月末、最後の2週間]

今日は母が病院に戻る日。心配していた吐血、
下血が起きず、またこらえられない痛みに苦しむ
ことなくおうちでお正月を過ごせたことは良かった
けど、やっぱり病院に戻ってしまうのは寂しい。
でも点滴もしてないせいか確実に体力が奪われてい
るし、看護婦やお医者さんが近くにいた方が安心
出来るようなことも言ってたので、このぐらいで
一度病院に帰り、また外泊で家に戻って来れれば
いいなと思っていた。

だが、お医者さんが今回外泊許可出すときに心配
したように、今回が母にとって家で過ごす最後の
機会となってしまった。

目の黄疸はかなりはっきりしてきていた。歩くのも
かなりふらつくようになり、起きているのもつらそうで、
病院に戻る直前まで横になっていた。それでも意識
はしっかりしていたし、少しだがほうじ茶は飲んでいた。

ただ本人は覚悟していたのかも知れない。父が車で
母を送ろうと車の用意をしていたとき、母と二人きり
になった。するとかすれた声で、でもしっかりと母から
急にお別れの挨拶と励ましを伝えられてしまった。
「まだ元気になれるかも知れないんだから、そんなこと
言うの早いよ」と言ってお互い微笑んだけど、自分は
正直悲しくて仕方なかった。

今まで小さい頃からわがまま言ったり、迷惑、苦労を
かけてきたことに対しての謝罪、そしてあらゆることに
対する感謝の気持ちを伝えたかったが、言えなかった。
まだ早すぎると思ったから。結果論になるけど、彼女
の意識がはっきりしているときに、これらは伝えられ
なかった。それが良かったのか、悪かったのか、今で
もわからず、葛藤している。

因みに3時前に病院に戻るときも自力で歩いていた。
看護婦さんにも「ただいま」と言って笑顔を見せていた。
でも家にいて疲れたのか、すぐに寝てしまった。仕方
なく父、弟、私の見送り組も家路についた。

たいしたことは出来なかったが、母が普通に家で
家族とお正月を楽しく過ごせたことを願った。
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