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1月12日、母の人生最期の日その2 [2012年12月末、最後の2週間]

この記事はかなり経ってから記述しているので、記憶違い
のこともあるかもしれません。ご了承ください。

面会時間をすぎたものの個室では付き添いが可能。今夜は
長くなりそうなので父と相談していったん家に戻りシャワー
だけ浴びることにした。家と病院は車で15分くらいのところ
だったが、帰る途中いきなり父から電話。呼吸が止まった、
すぐに戻ってこい、とのこと。びっくりしてUターンしようと
道をさがしていたら、また電話。呼吸が戻ったので、シャワー
浴びていいよ、とのこと。なんだよ、どっちだよ、と思う。

家に戻って慌ててお風呂をわかし、急いでシャワーを浴びた。
父もおなかをすかしていると思うので、コンビニでおにぎりや
パン、飲み物を買って病院に戻った。

病室に戻ると交代で食事をとった。もちろん病室ではとれない
ので歩いて1分の休憩室で。母を見ると相変わらず浅い呼吸
をしていた。たまに止まったかと思うときもあったが、その後
ふぅーっという感じでふつうの呼吸に戻り、このままいてくれ
たらと思うと、急に浅くて顎で呼吸になったりした。ちなみに
この病院では(それとも母の場合?)酸素マスクをつけたり
しなかったが、個人的な意見としてそれでもよかったと思う。
意識のない状態では痛みもないだろうし、酸素マスクをつけても
摂取できる酸素の量がそれほど変わるとは思えなかったから。

心電図を見ると波形も弱まっているのもわかった。心拍も徐々
に落ちている。呼吸と違い、これは戻ることはなかった。心臓の
動きも弱くなっているのか、装置が心拍数を測定できずいきなり
0を示すことがあったが波形はかろうじて見えていて、また検出
できるほどの心拍があると、低いながらも数値が復活した。ただ
ゆっくりと心臓がその動きを止めようとしてのは心電図の波形を
見ていればよくわかった。

母の顔を見ると少しでも酸素を得ようとがんばって呼吸している
のがわかった。手を握ればまだ暖かい。当たり前だが心臓から
血液が押し出されて血流がある証拠だ。どれだけがんばれる
かなぁとおぼろげに思っていた。最後にちょこっと意識が戻らない
かなぁとも期待した。

ただ最期はあっけなくきた。呼吸がないように思え、あれ心拍も0.
波形を見ると限りなく低い波が1つあるかないかきたと思ったら
あとはぴーんと1直線。ドラマでは何度でもみたようなもの。その後再び
波形が現れることはなかった。自分もCPRやAEDに心得があった
のでその場でやろうと思えばやれたが、母も望んでいなかったし、
担当医もやってもろっ骨を折るだけでしょう、ということだったので
そのままに。母の顔をみたが安らかで、悲しいというよりむしろ
お疲れさま、頑張ったねという言葉が浮かんだのをはっきりと
覚えている。あらためて感謝の言葉を伝えたことは言うまでもない。

誰かを呼ぼうと思ったら、看護婦さんがすぐにかけつけてくれて
担当医を呼んでくれた。自分は病院内にはいたがそこにはいな
かった父や弟を呼びに出かけた。

その3に続く。
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